京都大学大学院|鈴木晶子 Official Web
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プロフィール

  • 氏名:鈴木晶子 教授
    専門分野:教育哲学・教育詩学・歴史人類学
    自己紹介
     人間は環境世界との関係の中で、何をどのように学び、次世代に伝えているのでしょうか?伝統的なわざの修練における創造的模倣(ミメーシス)はもちろんのこと、儀礼や儀式における演劇的行動(パフォーマンス)を通して、人間は理性や悟性といった知性だけではなく、身体や感性・感情を働かせて学んでいます。その人らしさといったいわば個性や流儀(スタイル)を把握する能力(タクト)を学習の鍵として捉える立場から、わざの修練や伝承の場面、学校や家庭、社会での 伝達・学習の場面をフィールドとして、詩学や人類学の手法で調査研究しています。
  • 鈴木晶子先生

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書籍の紹介

  • 『Auf dem Weg des Lebens. West-östliche Meditationen(人生の途上にて -東西の黙想)』
  • 『Auf dem Weg des Lebens. West-östliche Meditationen(人生の途上にて -東西の黙想)』
    ロゴス出版、2013年刊行
    人はどこから来て、どこへと去っていくのか -これは人間というもののあり様を問う根源的な問いだといわれ、洋の東西を問わず、多くの宗教家や哲学者が問い続けて今に至っています。生きることと死ぬことは全く別個なものなのでしょうか。死と生とを分けて考える人間にとって、死とは暗くて何か怖ろしいもののようにもみえてきます。しかし、人生の途上にあって、生きることと死ぬこととを共に受け入れるような、そんな知恵は古代から多くの先人が培ってきました。本書は、ベルリン自由大学の人類学・教育学教授で、ドイツのユネスコ副議長をつとめるクリストフ・ヴルフ氏との死生をめぐる往復書簡をまとめたものです。ヴルフ氏と初めてお目にかかったのは、2003年秋のこと。「美と教育」についての研究会を京都大学で開催した折です。研究会の後、鴨川畔からほど近くにある、旧い町家を活かした料理屋さんでの懇話会で、たまたま隣の席に居合わせることになりました。先生とのお話は、なぜか肉親を看取るという個人的な事柄にまで及びました。ちょうどその年、私は8月に父を、10月に母を、それぞれ自宅で看取ったばかりでした。私の話を受けて、先生は、「少し前になるけれど、私も両親をこの自分の腕のなかで最期まで看取る体験をしたんです。」と、大きな身体の長い腕で、今わの際にお父様かお母様を抱きかかえるような仕草をしながら、ポツリとおっしゃいました。そこから、共通の体験をもとにしながら、死ぬこと生きること、自分の人生との向き合い方などをお互いに綴り合うようなことをしてみましょうかと意気投合したのです。その後、先生とは家庭の幸福や暗黙知による学習などを主題とした共同でのフィールド研究を行ったり、ベルリン、京都はもちろん、アメリカのロサンジェルス、ポルトガルのリサボンなど色々な地で人類学や文化比較、教育学に関連した学会でご一緒するご縁がありました。ドイツ・ユネスコ副議長も務める先生は世界中を飛び回ってお忙しなか、世界の色々な地から手紙を送ってくださいました。相次いで父母の死と向かい合うという鮮烈な体験をどう消化してよいか立ち止まったまま、まさに喪の作業の真っただ中にあった私は、整理がつかないままの思いをつづったり、自分がこれまで取り組んできた教育哲学の主題を自分の体験から今一度問い直したりといったことをするなかで、いつのまにか時間が流れていきました。そうして交換された二人の書簡が、このたびドイツの専門書を中心に出版しているロゴス出版から刊行された次第です。

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  • 『智恵なすわざの再生へ - 科学の原罪』
  • 『智恵なすわざの再生へ - 科学の原罪』
    ミネルヴァ書房、2013年春刊行予定
     3.11のあと、科学や科学者に対する信頼が揺らいでいます。私たちは、私たちの住む世界はいったいこれからどのようになっていくのか、不安や心配が人々の間につのっていくばかりです。科学は果して社会生活に本当に役に立つことだけをしているのだろうか − 科学や技術が社会に及ぼす影響が広範かつ複雑なものになってきている現代では、科学・技術が相互に絡み合うなかで生じるかもしれない弊害という側面についても私たちは気を付けていなくてはなりません。本書は、科学というものの成り立ちにまで遡り、科学研究や技術開発の現場が、競争と闘争の場、いわば「知のアリーナ」と化してしまった過程を明らかにしています。また、理系と文系とに学問が分離してしまい、科学的世界と日常的世界が乖離してしまった現代では、人間がもともと具えている直感や第六感など生存のための知恵や、人間としての熟慮、してはいけないことなど、ものの道理を知って動く知恵を、科学・技術に活かしていく道も閉ざされがちです。このような知恵や発想の源を探るために、本書では古代ギリシアのレトリック的思考や身体知を振り返りながら、近代科学・技術の行く末について論じています。ハイゼンベルクやヴァイツゼッカーがカントの「もの自体」をめぐって哲学者と展開していた1920年代の議論、「ウラン・プロジェクト」に参画した彼らが収容先のラジオで広島への原子爆弾投下を知ったあとの1945年夏の議論、さらに、朝永振一郎をはじめとする、科学者の倫理と責任に関する見解などを手がかりとしながら、3.11以後の私たちに何ができるかを探ってみました。表題のプロメテウスはゼウスの反対を押し切ってまで人類に火をもたらしたといわれる古代ギリシアの神です。火を持てる者となった私たち人間ゆえにできること、すべきこと、してはならないこと、そうした判断のために私たちはどんな知性や感性を磨いていけばよいのでしょうか。私自身も研究に関わる一人の人間としての自戒を込めて、科学と人間の未来を問うてみた一書です。

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  • 『Das Glück der Familie: Ethnographische Studien in Deutschland und Japan
  • 『Das Glück der Familie: Ethnographische Studien in Deutschland und Japan
    (家庭の幸福 -日独エスノグラフィー研究)』
    (Christoph Wulf, Shoko Suzuki, Jörg Zirfas, Ingrid Kellermann, Yoshitaka Inoue, Fumio Ono und Nanae Takenaka), Springer VS Verlag
     ベルリン自由大学を中心に展開している歴史人類学の研究グループと一緒に行った日独の幸福感比較調査をまとめたものです。日独での幸福感比較調査は、家庭、学校、企業それぞれについて実施しましたが、本書では、家庭での幸福感を主題にしています。幸せだなと感じるときはどんな時か?家庭の幸せとは何か?など家庭という場で、家族とともに暮らす日常のなかでイメージされている幸福感について、日本とドイツそれぞれの3つの家庭に日独混成の研究チームが入りました。特に、ドイツではクリスマス、日本では年越し、お正月の時期の家庭で、年中行事にまつわる様々な支度をするなかで、家族がどのように過ごしているかをフィールド調査しました。それぞれの文化で伝統的な行事のあり方も時代とともに変わってきています。煩雑な儀式は簡略化され、他方、消費社会、ネット社会に生きる現代人の生活様式に合った祝い方が新たに生まれたりしています。そうしたなかで、家族相互のコミュニケーション、家族間の会話、親せきとの付き合いなども変化してきています。また、文化によって家族の意志疎通の仕方も異なります。もっぱら言葉を交わしたり、身体接触を通して家族の情感を確認しあうドイツ。それに対して、日本の家庭では、あまりボディタッチを好まず、あうんの呼吸で通じてしまうのか、言葉による会話が少ないことにドイツ人の研究者は驚いていました。伝統行事を祝う家庭のなかで、家族相互の思いもまた変化してきているのか、また時代や文化を問わず、人間が幸福を希求するその姿を捉えることはできるのか −目に見える物を追いかけがちな現代で、目の前にある幸福、身近な幸せが今見えにくくなっている現代を捉えようと挑んだ研究です。

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  • 『教育文化論特論』
  • 『教育文化論特論』
    放送大学教育振興会
     放送大学大学院のテレビ番組「教育文化論特論」の印刷教材としてまとめたものです。教育文化論は、教育文化という事象の究明を共通関心とする、教育思想・哲学、教育史、教育社会学など教育学の諸分野で蓄積されてきた知見を集結し、21世紀初めに構想されるに到った新しい研究領域です。現在では、教育学のみならず、哲学、歴史学、人類学、民俗学など隣接する人間諸科学との協働と、教育文化への多様な接近を試みる国内外の研究者との共同研究を通して、広義における教育文化という事象究明を旨とする研究領域へと進展してきています。本書では、人間相互の関係性から教育文化という事象を捉えていくため、①人間相互の関係によって生まれる「場」、②その両者の関係を取り結ぶ「メディア」、③その相互作用によって生じる「伝承」、という3つの視角から論じています。教育文化とは、人と人とが出会い、相互に影響を与えあい、互いに変容を遂げていく、そんな場を支えているものです。教育というとき、学校教育や家庭教育、社員教育などを思い浮かべることでしょう。けれども、人と人とが出会い、互いに影響を与え合っていくところで起きている事象がみなある意味、人間の生成や変容に関わっているとみると、教育文化とは、そうした人間変容の場だといえるかもしれません。

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  • 『Takt in Modern Education(近代教育におけるタクト)』Waxmann, Münster/New York
  • 『Takt in Modern Education(近代教育におけるタクト)』Waxmann, Münster/New York
     タクトはもともと触覚を意味する人間の感覚や能力です。触覚は人間にとって最も根源的な能力であり、世界と関わりながら生き抜いていくためのサバイバル能力の根源だということもできます。直感や勘、第六感などとも呼ばれています。動物としての人間がもともと具えていた動物的な勘、生き物の知恵は、人類文化の発展によって、だんだんと衰えをみせています。しかし、人間社会を生き抜くためのタクトは、よく気を付けてみると人間生活の様々な場面で今でも働いています。本書は、タクトの働きとその養成方法が主題です。

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  • 『イマヌエル・カントの葬列 −教育的眼差しの彼方へ』
  • 『イマヌエル・カントの葬列 −教育的眼差しの彼方へ』
    春秋社
     イマヌエル・カントというドイツの哲学者は、ケーニヒスベルク(今はロシアのカリニングラード)という町に生まれ、その町で一生を過ごしました。一度も町の外に出ることもなく、その町で広大な宇宙について考え、また人間という存在の深淵に触れるような壮大な思索をした人です。そのカントは、人間がどんなに迫ろうとしても決して触れることができないようなものがこの世界にあるということ、まさに人間知性の限界ということについて考え、不可知、不可触でいつまでも人間にとって謎のままに留まるものを、「もの自体」という名で呼びました。その謎にいかにして迫るか −これが人間が人間の限界を自覚しつつも、その知るという挑戦の限界まで挑んでいくという、まさに探究や研究のあり様です。人が変わるということもまた多くの謎に満ちています。例えば、私たちは成長した、一回り大きくなったということについて、変化した後からしか自覚的に語ることができません。変化の渦中で人間の成長発達、変容変化を捉えるということは実はとても難しいのです。そんな教育というものに潜む謎について、カントを導きの糸としながら迫ってみました。

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  • 『これは教育学ではない −教育詩学探求』
  • 『これは教育学ではない −教育詩学探求』
    冬弓社
     言葉は人間を生かしもすれば、傷つけもするというやっかいな生き物のようです。私たちが普段、教育について語るときに口にしている言葉や表現には、私たちのものの見方や考え方、そして価値観、教育観といったものが入り込んでいます。また、敢えて口にしないからこそ相手により伝わることもあります。そんな言葉の力の不思議を手がかりとして、教育の謎に迫るというのが教育の詩学です。詩学の手法をとりながら、教育についてのものの見方や考え方を分析していくというのが教育詩学です。人類学的な手法の一つとしての詩学の手法を用いて教育の謎に迫るという試みは、2000年ごろから始めてみました。本書は、臨床教育学の皇紀夫先生とご一緒に私たちの研究室で行ってきた「教育を語る言葉の力」についての研究成果をはじめ、身体と教育、美と教育など日ごろから刺激的な対話の相手をしてくださってきた方々の論考や対談などを載せています。

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  • 『判断力養成論研究序説 −教育的タクトを軸に』
  • 『判断力養成論研究序説 −教育的タクトを軸に』
    風間書房
     博士論文をもとにまとめた処女作です。人間の判断力というものはいかにして働いているのか、また判断力を養成する方法はあるかという問いに迫るねらいで、18世紀ドイツを中心にヨーロッパで隆盛していた美的感覚や感性、記憶術、組み合せ・結合法(Kombinatorik)に関する研究を手がかりに研究したものです。1982年から1989年までドイツのケルン大学哲学部で研究していたものを中心にまとめました。言語の派生とその比較文化的研究に道を拓いたフンボルト兄弟。特に大学論や言語哲学のほうで注目に値する研究をしたことで知られるヴィルヘルム・フォン・フンボルト研究の第一人者クレメンス・メンツェ教授の指導を受けました。言語を通して人がどのような個性を確立していくかというメンツェ教授の問いを私なりに受け継ぎ、判断や決断の能力を技として養成していく可能性を追求したカントの弟子の一人、ヘルバルト(Johann Friedrich Herbart 1776-1941)の「タクト」に関する研究に焦点を当てています。

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